「心象スケッチ」という言葉があります。
心に響く場所でスケッチブックをひろげ、空の下で絵を描きはじめるように、
気持ちのいい風がきっかけで、懐かしい曲がよみがえって小声で口ずさむように、
ふと想いが体をよぎった時に、街角で言葉を小さく書きとめる。
そんなイメージがあります。
その時の自分の状況、気持ち、考え、見えてるもの、聞こえてくるもの、香り、肌にあたる風。
五感の先っぽから感知するさまざまな感覚をスケッチするように、文脈で残しておきたいと思うのです。
心象スケッチと宮沢賢治
心象スケッチ。
この言葉は、宮沢賢治の『春と修羅』という作品に登場します。
これらは二十二箇月の
『春と修羅』宮沢賢治
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケツチです
この詩集にある「心象スケッチ」とは、単に自分の心情を綴るという意味ではないそうです。
宇宙や時間のような普遍的なものと人間をつなげるスケッチだと、賢治はとらえていました。
宮沢賢治の作品は、ほとんどが他界した後に出版されたもので、生前のものは『注文の多い料理店』『春と修羅』の2作だけです。
生前の賢治と同時代を並行して歩いていたこの詩集は、今となっては彼の内側が表現された貴重な作品です。
日常と心象スケッチ
私たちは、急速に流れ行く時間の波にやや溺れながら、時を消化しがちです。
まるで「忙しい」という言葉に溶かされてしまうように。
そこで「この一瞬一瞬にも、きちんと息吹が吹き込まれている」と自覚できるように、日々の変化だけでなく、当たり前のことも文字で書いてみます。
すると、私たちの「いつも」の日常の色彩が、驚くほど変わって見えてきます。
賢治の文才には到底およばないけれど、自分の中に広がるイメージを頼りに、私は私のなかで生まれる心象を、流されず、飛ばされないように、しっかりと書きとめておきたいと思うのです。
『春と修羅』のすすめ
宮沢賢治の『春と修羅』は複数の出版社から発売されている「宮沢賢治詩集」の中にあります。
(ただし、すべての出版社の書籍を確認したわけではありませんのでご注意ください)
Kindleを利用している方は、青空文庫で無料で読むことができます。
これらの中には、有名な「永訣の朝」も収録されています。
(“あめゆじゅとてちてけんじゃ”という有名な一節もあります)
少しだけ旧仮名遣いなので、一見、読みにくそうですが、わからないなりにひらがなを追って読んでいると、不思議と賢治の見た(もしくは頭の中でイメージした)当時の風景がリアルに浮かんできます。
目から入った文字が頭を通って理解につながるのではなく、
旧仮名遣いからダイレクトに心に響いてくる・・・、そんな読書体験ができます。
古典を読んで当時の空気に触れるだけでも、十分デジタルデトックスの気分になれますね。
賢治は雪深い地で生まれ、多くの名作を生み出しました。
寒い時期がやってくるこれからは、賢治を読み感じるのにピッタリの季節です。