【自分軸と他人軸】SNSと上手に付き合うために

カフェで考えごとをする

自分軸、時間術、日々の習慣、絶対の安心、丁寧な生き方、自分の場。

こんなワードが飛び交う一方、背景には急速に流れる社会を乗せたSNSが走ります。
そんな中、自分を見失わず自身を保つのは簡単なことではありません。
便利で広い世界へ手軽に飛べるSNSを、どのように活用していけば良いのでしょうか。

InstagramやX(旧 Twitter)などSNSのおかげで、私たちはまだ会ったことのない人や、まったく面識のない誰かの生活を、垣間見ることができるようになりました。

SNSを開くたびに「いろいろな人生があるのだなぁ」と思うけれど、実はそんな「いろいろな人生」も今はじまったことでなく、人類がはじまったときから人の数だけドラマがあったわけです。

現代はSNSによって、自分のまわりが誰かの物語で埋められているような、そんな錯覚を見てしまっているような気がします。

そのため、必要な刺激だけでなく、いらない刺激までキャッチしてしまう・・・。
そしてSNS疲れが起こってしまうのです。

人は、無意識に心のどこかで何かと比較をしながら生きています。

遠くの知らない誰かの「思い」や「行為」を自分と重ね、お手本にしたり、励みにしたり、ときには踏み台にしたりしながら自身を鼓舞しています。

その一方で。
自分が知らないうちに誰かの助けになっていることもあれば、誰かの話のネタになっていることもあるかもしれません。

人と人とをつなぐ便利なSNS。
いかに自分に合わせて距離を保てるか、カスタマイズして使えるか。

すべては、自分の受け止め方なのです。

SNSは、私にどれほどの良い風を運んできているだろう?
いらない物まで運んできてないだろうか?
いらない物をしっかりスルーできているだろうか?

「便利」という錯覚に溺れず暮らしていこう、と感じるこの頃です。

思わぬ横風に流されることなく、自分の信じるものへ向かってしっかりとした足取りで歩んでいきます。

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バラ園のバラたちは、見られることを目的に植えられています。

きれいに整えられた多くのバラたちですが、1本として同じバラはなく、葉の形や花びらのつき方もすべて異なります。
人間でいう「個性」ですね。

光の当たり方や吹く風の方向によって、花の表情が変わります。

私たち人間も、自分の気分や誰かの意見によって、日々感情は動きます。

「いま見ているこのバラの状態は今日だけで、明日は違う表情なんだなぁ」
そんなことを思いながら撮りました。

「いま胸にある気持ちも感覚も、明日は別の形に変わるかもしれないなぁ」
そんなことを、夜、ノートに綴りました。