その湖のほとりに立っていると、自分の中で定まらずにいた感情が、こぼれることがある。
それは、欲望のような熱でもなく、涙ほどの悲しみでもない。
ただ形にならず、言葉にもならずに、しばらく心の奥に沈んでいたもの。
私は、形なきそれを静かに湖に落とす。
音もなく、水面に落ちた私の感情は、見えない粒のように広がって、ゆるやかな波紋になってゆく。
その波紋は、一度ひろがっていったあと、ゆっくりと旋回しながら空の色をまとい、ひとまわり大きな形をして戻ってくる。
その波を、私は両手ですくう。
言葉のようで、言葉でないような。
でも、自分のものだとわかるもの。
私の中で眠っていた、おぼろげな感情が、
いま、こうして言葉らしき形になって手の中にある。
それは、新しいものというより、
奥底にあった記憶が、色を取り戻す感覚に近い。
夜、湖は静か。
誰の声も届かない場所で、
ようやく、私の言葉は生まれてくる。
これは、心の湖「ツキヲト」の物語のはじまり。