【さあ、立ち止まろう】日常に心の余白を呼び込む写真術(スキル関係なし)

息つく間もないほど忙しいわけでもないのに、なぜかセカセカしてしまう。
ゆっくりしたいのにできない。

いつも家事や仕事のことを考えている。
自分のことを考えたり自分を休めることが悪いわけではないのに、なんとなく罪悪感があったり。

心を休ませたい、
心に余白のある暮らしをしたい。
なのに、自分から「空白」をさけているようにすら思えてしまう。

私は、「雑念なく自分のために時間を使う」のが苦手なのです。

心を軽くしてくれるもの

最近、私のある趣味である写活(写真)が、人間の心の健康の大きな助けになっていることに気づきました。

ニュースを見て胸が苦しくなったり、
自分と合わない環境で時間を過ごさなければならなかった日、
理由はないのになぜかモヤモヤする、

そんな時は、カメラを持ってさっそうと散歩へ出かけます。

街並みよりも自然風景を好む私は、なるべく木や花などの植物を探してファインダーをのぞきシャッターを切る。
この行為が、私のモヤモヤした重たい気持ちを自分の体から剥がしてくれるのでした。

好きなことをしているから、きっと気が紛れているんだろうな。
そんな風に捉えていたのですが、読み返していた本の中に、この科学的根拠が書かれていたことに気づきました。

もう何度も読んだのに今まで気に留めることもなく、このタイミングで私のフックにかかったのは、きっと今の自分に最も必要とされている情報だったのだろうと思います。

最新科学でわかる創造性と幸福感

『NATURE FIX 自然が最高の脳をつくる』

何度読んだか分からないこの本に、次のような内容の記述が繰り返し出てきます。

自然の風景の写真を見たあとや実際に戸外ですごしたあとには、思考が明晰になり、不安感が減るという結果を得た。(一部抜粋)

『NATURE FIX 自然が最高の脳をつくる』

つまり、自然に触れることでストレスが軽減され、創造性や集中力が高まることが科学的に証明されている、とのこと。

写真撮影をすることで、自然にまとわれた自分の周囲をよく観察し、深く味わい、感性を磨くことができるようになるそうです。

(ここでは触れる程度にとどめますが、この本は読むと自然へ近づきたくなる良書です。)

写真と自然風景の関係を踏まえて

以上を踏まえ、改めてタイトルにある「立ち止まるスキル」と「暮らしの余白」について考えていきます。

これから語る内容は、カメラ好きの私が実際に感じ、体感した後に本を読み、後付けで「そうだったのか!」と確認できていることです。

個人差はあると思いますが、私は本の内容と自分の実体験を照らし合わせ、その合致の多さに嬉しくなりました。

この本が私の殿堂入りを果たしたので、ここにできる限りの言語化をしていきたいと思っています。

頑張らなくても五感が引き寄せられる

写真を撮るとき、一度立ち止まって自分の動きを止めて撮影しますよね。
集中するためです。

私たちの日常にある美しさは瞬間的であり、見過ごしてしまうと戻すことができないものもあります。
気づかずにいればそのまま一生触れることもなかった、という瞬間もたくさんあります。

けれど「写真を撮る」という意識を持つことで、その美しい瞬間に気づきやすくなり、五感も研ぎ澄まされます。

たとえば、道に落ちている木漏れ日を撮りたいと思った時。
ただ下を見るだけでなく、光の方向を確かめたり、風を読んだり、一枚一枚の葉の形の違いに気づいたり、花の揺れのタイミングをみたり、あらゆることに意識が向きます。

まさに、五感のアンテナを立てている証拠です。

聞こう、見よう、香りを感じよう、と頑張って意識を張り巡らさなくても、写真を撮るだけで(撮ろうと探すだけで)あらゆる感性が、無意識に手を伸ばしてキャッチしてくれるようになります。

「写真を撮りたいから立ち止まり、その一瞬を切りとる。」

たったこの行為だけで、実はあらゆる五感を引き寄せているのです。

さらに撮りたい対象が自然なら前述したように、より心身に有益というわけです。

動画ほど情報がない、けど。

ならば、写真じゃなくて動画の撮影でもいいのでは?

動画なら、その瞬間の音も拾えるし、日の眩しさも、風に揺れる花の様子もわかる。
スマホなら手軽に撮影できる。

そうなのです。
動画に比べて写真は情報が少ないのです。
リアルな記録が目的なら動画一択です。

音や色や時間の経過は動画の方が圧倒的にリアルに記録できることに対し、写真はその一瞬を切り取るだけ。

けれど写真は、見返したときに情報が欠けている分、想像が働きます。
想像が働くと、写真を撮った同時期の、まったく関係ないものも紐づいて思い出せたりします。

「GWにこの写真を撮ったときって、確か『推しの子』にはまってたんだった」
「この頃からマスクが強制じゃなくなったんだ」
「この何日か前に、村上春樹の新刊が出たんだった」

というように。

この無関係のものを引っ張ってくる、写真の地引き網システムが楽しい。

どうでもいいことを思い出す尊さ・面白さがあります。

写真でマインドフルネス

心の余白は、ゆったり何も考えない時間だけではなく、

自分磨き、
自然に触れる、
ゆっくり好きなことをする、

など活動的な要素も、心の余白を生み出します。

「カメラで一瞬を切り取る」

この一連の所作も、心の余白へつながります。

写真を撮るとき、一度立ち止まり自分の立ち位置(ポジション)を確認します。
周囲を気にします。
光を気にします。
カメラと撮りたいもの(被写体)との角度を調整します。

そして、息をひそめて「カシャ」
一瞬を止めます。

このわずかな一連の時間は、「一瞬を切り取る」に集中する時間。
イマココに集中するマインドフルネス的な要素もあります。

日常の余計な思考を忘れ、自分のペースで感性に触れることができる「心の余白」です。

好きなことが自分にプラスになっていたこと

高校生の頃からカメラが好きでした。
いつも持ち歩いて(写ルンです女子高生)、友だちや風景を撮っていました。

やがて欲が出てきて、カメラという物体が欲しくなりました。
バイトしたお金で、カメラとレンズを買いました。

デジカメもスマホもあるけれど、覗いて撮るスタイルが好きです。
今もファインダーを覗いて撮ります。

そんな、ただただ好きなだけだったカメラが、自分を助けるアイテムになっていた。

科学的根拠で証明されていることを本で知り、「好き」だけだった気持ちに自信がつけ足され、さらに「好き」に拍車がかかりました。
(レンズ買いたい欲を我慢中…笑)

今、私には余白は必要。
ギチギチになっていた時間のスキマが、カメラによって柔軟に広がり、生活の合間のおやつのような甘味を与えてくれます。

逆探知で余白のある暮らし

みなさんの好きなことは何ですか?
ホッとする時間はどんな時間ですか?

「これをすれば人生が変わる」的な本を読むのもいいけれど、逆に、今の自分の好きなことを肯定している本を探してみるのもいいかもしれません。
(本の内容に自分を的中させるのではなく、「これって私のために書いた本だよね?」と思わずにいられないものを探す)

そうすることで、

① 無理に好きになる努力をする必要がなくなり、(精神的圧迫なし)

② 自分の好きをもっと伸ばせ、(褒めて伸ばすやればできる子)

③ これまでずっと好きでいられた過去からの自分をも讃えられる。(現在だけでなく過去の自己肯定もUP!UP!)

自分をもっと認めてあげましょう。
「おっ、私やるじゃん」
「私、ナイス!」

(こうしてみなさんに呼びかけるように書いていますが、私も自分に向けて書いています^^)

もしも好きなことが思い当たらなかったら、写活もいいですよ。
実際に、心も体も立ち止まり心に余白をもたらしてくれます。

スマホで気楽に始められ、やがて気持ちが満たされてくると、カメラ沼やレンズ沼が待ち受けています。
(沼は広く深い)

「好き」は立派な動機であり、理由であり、余白を呼び込みます。

心の余白は人生をリラックスさせます。
リラックスできると、自分が求めているだけの視野が広がります。
周囲のノイズが気にならなくなります。

自分が座るベンチを求めて、毎日歩き続け、がんばっているみなさん。

いったん立ち止まり、
自分の好きを確認し、
暮らしに余白をつくり、

悠々と時代をながめていきましょう!