私は友人と、二人だけで共有してるInstagramのアカウントがあります。
事情により体の自由がきかない友人と、簡単にコンタクトがとれるようにと始めました。
友人は、インスタを通して外の様子や季節や時間の変化を見たい、と言いました。
かつて友人にもあった「当たりまえに誰にでもある日常」を、なるべく友人目線で体感できるように、私はすぐそばにある何の変哲もない、けれども「見ててなんか良い」ものを投稿していました。
すると、友人がこんなことを言ってくれました。
「mayuは、日常の物語を見つけるのが上手いなぁ」
私は嬉しくて、少し悲しくて、涙が出そうになるのをこらえ、
誰にでもあるはずの「日常」に戻っていけない友人に何も言えない自分を隠すように、とっさにこう答えました。
「その人のストーリーをみつけて書くのが、私の仕事だからね」(執筆業です)
クライアントさんとの会話
最近は文章作成のほかにも、動画のシナリオを書く機会も増えてきており、構成を練ったりアングルを考えたりしながら文章を書くことが多くなってきました。
そんな時、あるクライアントさんからこんなことを言われました。
「mayuさん動画つくらないの?」
私はこう返します。
「私なんてワンパターンな日常で、vlogみたいにおしゃれで観ている人が刺激を受けるような暮らしをしていませんので。笑」
けれど、それを言った直後、友人とのあのやり取りが頭をよぎります。
日常にストーリー・・・、かぁ。
恥ずかしくて人には言えない私の脳内妄想
私は読んだ本がすぐに夢にでてくるほど、感情移入が半端ないです。
共感力が強めなのでしょう。
イタリアの道端にいる物乞いにいちいち同情していたら、ツアーのガイドさんに
「あの人たちはフリをしているだけなので、騙されないでくださいね!お願いしますよっ!!すごいスピードで追いかけてきますからね、本当にお願いしますよ!!!」
と、半分怒られたような雰囲気で注意されたほどです(苦笑)
パスタを食べれば村上春樹氏が隣に登場し、
雨に当たれば、映画『ショーシャンクの空に』の世界に侵入し、アンディとともに大いに脱獄成功を味わい、
見上げた夜空の星が美しいと、ちゃっかりジョバンニと一緒に銀河鉄道に乗って、私もりんどうの花を眺めている。
(KAGAYASTUDIO『銀河鉄道の夜』より)
常に頭のなかは、物語でいっぱいなのかもしれません。
また、小さい頃に母のオリジナルの読み聞かせで育ったせいもあります。
母の読んでくれる『ノンタン』は、幼稚園の先生が読んでくれるお話と結末が違うのでした。
(同じ表紙の同じ本なのに)
これまで、人と視点が違うことがコンプレックスで、いつもそれを隠すように周囲の顔色をうかがい、まわりに合わせるようにして生きてきました。
しかし、私を萎縮させていた「人と違う視点」が、執筆業で活かせることがわかったのです。
「ゴールは同じでも、他とちがう魅せ方をする文脈」でした。
これは「仕事」「プライベート」という枠を超えて、私自身が書いていて気持ちいいものでした。
自己探求の旅:「なんかいい自分の世界」を物語ろう
自分の好きな世界に没頭している人は魅力的です。
もしも今「自分の夢中」がみつかってなくても、それを探究している人も輝いています。
何かに夢中になっているその間は、非日常となって別の世界に自分を運んでくれます。
以前、一緒にお仕事をさせてもらったあるクリエイターが、こんなことを教えてくれました。
「たとえ自分の好きなことでも、続けるのは大変。
こうして続けていられるのは、これが自分以外の誰かを守ることでもあるからなんです。」
そしてこんなことも。
「人と同じことを考えてたら、この仕事はできない。
あと、理由なんてなしに好きじゃなきゃね。」
その言葉を聞いたとき、
目を開けていられないほど、自分に刺さったのを今でも覚えています。
人と視点や感覚が違うのなら、
さらに幸運にも、それを活かせる可能性を見つけたのなら、
今度はこれを誰かのために活かすのです。
そしてなにより、
自分の内に芽生えた「なんかいい」を丸めて捨てるようなことはしない。
文脈でも語りでも、きちんと言葉で残すのです。
他者との「違い」から逃げない。
自分の「守りたい」を守ろう。
自分の感じる「なんかいい」を物語っていこう。