書くということは、
「誰と、どんな言葉を育てるか」に尽きると思っています。
たぶん、私は書き手というより、言葉をいっしょに育てる人。
そんな感覚で、日々、言葉と向き合っています。
文章は、正直、派手じゃないです。
デザインのようにパッと目に入るわけでもなく、香水のように「どこのブランド?」と話題になることもありません。
けれど、そんな文章というものに、ひそやかで確かな役割があると信じています。
それは、誰かの「杖」になるということ。
たとえば、クライアントさんが何かに挑戦するとき。
想いを言葉に乗せて届けようとするとき。
あるいは、自分の軸が揺らいでしまいそうなときに。
「この文章があるから、大丈夫。」
「この人と一緒に言葉を磨いたから、堂々と出せる。」
そんなふうに思ってもらえることが、私の目指している場所なのです。
もちろん、そのためには私自身のスキルや信頼を、日々、育てていかなければならないのだけど。
(と、自分にプレッシャーをかけておく。)
「書く人」である以前に、安心して任せてもらえる存在でありたい。
その想いは、常に胸に置いています。

よくよく考えれば、文章を書くこと自体は、特別なことではないです。
文章なんて、日本に生まれて育っていれば、誰でもそれなりに書けます。
人に頼まなくても、ちゃんと伝えることはできる。
それでも、あえて「誰かに書いてもらう」という選択をしてくれたのならば、その意味と重みをきちんと受け止めたい。
その想いの分だけ、私は「想像以上」のものを返さなくてはいけないと思っています。

文章は、静かで控えめな存在かもしれません。
けれど、控えめだからこそ、ちゃんと効くのです。
普段は目立たずとも、心が折れそうなとき、ぐらっと揺れたとき、そっと支える杖のような存在になれることがある。
それを実現するには、私ひとりで言葉を紡ぐだけでは足りなくて。
クライアントさんと一緒に歩みながらつくるからこそ、文章に体温が生まれ、言葉が自立し、そしてクライアントさん自身を支える力になる。
そう信じて、書く仕事と向き合っています。
だから、書くという仕事は孤独じゃないし、
むしろ何かと何かが「つながる」ための、静かなエネルギーでありたいと思っています。
そう考えると、この地味で奥深い仕事も悪くないなと思うのです。