もし、毎日が小さな発見と気づきで心が満たされているとしたら、「人生は充実している」と安心して深く眠れるのだろう。
さらにもし、それをサラッと記録しておけたら、
毎日積もり重なる紙の量にこころの満足度は向上して、もっと明日を幸せな日にしたいと思えるのだろう。
私たちの暮らしの中でハッキリと気づく変化のひとつに、季節がある。
季節の変化に敏感な人って素敵だ。
人の心の変化にも気づいてくれそうで、あたたかい印象を受ける。
けれど季節の変化に気づいても、あえてきちんと書いて残すことってあまりないかも。
花壇の花や植物を見かけても、その花たちの名前はよく知らない。
星を見るのも好きだけれど、配置や名前を覚えるのは苦手だし。
それでも写真を撮ったり、思ったことをメモしたり。
自分の見た美しいものを残しておきたいと、筆記一式とカメラをいつも持ち歩く。
「ああ、桜が咲いたな」
「風がぬるくなってきたな」
それくらいの些細なことだけど。
手帳は感性を表現するワンマンステージ
もっと違う視点を持ちたい。
まだ気づいていない世界に触れてみたい。
自分の感じたことを、自分の納得のいくように残してみたい。
その手段として手帳とノートを使う。
手帳やノートは、自分の感性を表現する舞台のようなものだ。
誰かに見せるわけでもなく、発表の場があるわけでもないけれど、自分好みに育てていく楽しさがある。
ペンを持って手帳をひらけば、そこに、自分から生まれた文字が踊るステージがある。
(ライブのステージへ向けて、私の推し手帳を浴びせてみる)
私はここに、地球住みとしての喜びを残したい。
季節とともに、身も気持ちも流されていたい。
感情のゆらぎを確認したい。
その経過を書きとめておきたい。
自己満足の世界だが、この作業が自分の心を大きく満たすのを知っている。
小さいタスクをこなしたような達成感と、
クッキー1枚程度の甘味のような。
それが嬉しい。
毎日あると、もっと嬉しいに違いない◎
【マネしたい】感性を言語化するお手本『好日日記』
ここで、思い浮かぶ本がある。
お手本にしたいと思った本。
庭の椿の葉が、降り注ぐまばゆい光にキラキラと照っているのが、目に飛び込んできた。
(あ、春だ・・・)
花も見ずに、なんのために生きる。
立ち上がり、急いで支度して、電車に乗った。
踏切の前で、電車が通過した時、花びらは一斉に空高く飛び立った。無数の花びらが吹雪みたいに舞い上がり、たくさんの小さな「さよなら」が聞こえる気がした。
この本は難しい言葉は何一つなく、説明じみた文脈もない。
大きく変化するストーリーも、この中にはない。
でもなぜだろう、著者の綴る風景とはまた別の、私が自分寄りに変換したのであろう風景が、体の中に広がるのがわかる。
自分で発見したような、うれしい錯覚に包まれる。
こんなだったよと、感覚を読み手に押し渡すのではなく、
「どうぞ、ご自身の感覚を見つけてみてくださいな♪」
と、感性の苗を著者からお裾分けされているよう。
ゆっくりページをめくるたびに、
「こういう感じ方もあるのか」
「こんな感情のこういう書き方があるのか」
と感覚を捕まえるヒントになったり、それを表現する術を見つけられたりする。
書きとめる日常
私たちは日常を相手に、知らないことが何と多いことか。
秘境を冒険する度胸も発想もないけれど、まだまだ日常には掘り起こせる種が眠っている。
掘り起こされるのを待っているものも、たくさんあるに違いない。
日々の気づきや想いを書き綴ることで、深いところにあるものがおのずと見えてくる気がする。
それらを信じて。
目をむける先の小さな「あ♪」に、書きとめたいことが今日もたくさん。