【人生note】あの時もあの時も。手帳に書かれるのは日々の記録の標本

三十間銀座本店で手帳タイム

カフェの店内に入るとき、消毒やマスクの着用はあっても、マスクを外してゆっくりする人も増えてきた。
店内で本を読む人も、雑誌から書き抜きをしている人も増えた。

少しずつではあったけれど、ようやく「戻ってきたんだな」と思う光景だ。

ここ3年間は、失ったものもたくさんあるけれど、失いかけていたものを見つめ直す機会でもあった。
失わずに済んだものもあった。

あらがうこともできなかった大きな事態に、世界中の意識が一点に集中し、情報を飛ばしあい、思惑を生み、思いや悲痛が飛びかった。

その時の状況が、どれだけの人のノートや日記に書かれていることだろう。
生きるために必死に考えていた筆跡が、どれだけ多くの個々の手帳に残されていることだろう。

「世界が一時停止した時代」

将来、そんな呼ばれ方をするかもしれない。
けれど、確かに私たちはそこにいたのだ。

その時代を生き、子どもを守り、親を守り、家族を守り、
静かに息をするしかなかった「あの頃」を歩いていた。

まだこれからも“いろいろ”は続いていく。
次々にやってくるあれやこれやは、きっと、解決なんてしない。

けれど、自分がリーチできるところは、自分で守ろう。
ルールや秩序の中で、小さな幸せを見つけて、喜んで、嬉しんで暮らしていこう。

それらをいちいち手帳に刻むんだ。
時間をめぐるスタンプラリーみたいに。