文章を書くとき、私はいつも「すべてを言い切らないこと」を大事にしている。
言葉は伝えるためのものだけど、同時に、余白を残すことで、より深く心に届くことがあるからだ。
たとえば誰かと話をしていて、細かい説明をしなくても、「それ、すごいわかる!」と相手が理解してくれるときがある。
文章の行間にも、そんな「わかる」が生まれることがあると思う。
私は日記を書くのが好きだ。
静かな夜や、朝のひとり時間、心に浮かんだことをノートに書き留めている。
けれども、あとから読み返すと、自分でも「これって何のことだっけ?」と思うことがよくある。
行間に込めたはずの気持ちは、そのときの私にしかわからない。
でも、それでいいんだ、とも思う。言葉にしきれなかった想いが、ほんの少しの余韻となって残っているのなら、そこにこそ「本当」が潜んでいるんじゃないかと思っている。
詩や小説もそう。
すべてを説明し尽くさないからこそ、読み手は自分の気持ちと重ねることができる。
昔読んだ本を大人になって読み返すと、まったく違う印象を受けるのは、行間に自分の今の心が入り込むからなのだろう。
「すべてを語らず、でも、伝えたいことは確かに存在する。」
そんな気持ちで書かれた文章には、きちんと温度が宿る。それは、余白に心が置かれているから。
今日も書く。
言葉を紡ぎながら、行間にそっと心を置いていく。
読んでくれる誰かが、その余白を埋めるように、そっと受け取ってくれたらいいなと思いながら。