片付けや掃除をしていると、昔の思わぬものがひょっこり出てくることがあります。
恥ずかしいような、スッパイような(笑)、なんとも言えない気持ちになります。
あらゆる懐かしいもの恥ずかしものが姿をあらわす中で、手を取らずにいられないモノが出てきました。
日記です。
読み返していると、じわじわしてしまう。
あぁ、私はこんなことを考えていたのか。
私が頑張れる地盤は、ここにあったのか。
そんな気づきを、日記を通して過去の自分が今の私に与えてくれたように感じました。
20年前の「かなえたい夢100リスト」のひとつに目が止まる
結婚したばかりの頃の日記がでてきました。
そこには「かなえたい夢100」と書かれていて、
・空気清浄機を買う
・家族でハワイにいく
・アクタスのダイニングセットが欲しい
・女を捨てずに、肌を気づかう生活をする
など書かれていました。
(物欲を隠せません)
そんな中に、こういうものがありました。
お父さんと、お母さんに私の自立している姿をみせたい。
“自分たちは子供を立派に育て上げたんだ”、という自信を、お父さんとお母さんに持たせてあげたい。
あなたのエンジンは何ですか?
みなさんの行動力の源は何でしょうか?
思えば私の起動する力は、いつも「誰かのために」が不可欠なんです。
勉強をがんばれば喜ぶ母がいて、そういう母の顔をみたくて勉強を頑張ったというのも否定できません。(結果がついてこなかったのですが)
本当は、「自分のために頑張る」というのが美徳かもしれないけど、私は自分ではこれでよかったのだと思います。
今もことあるごとに、家族の顔が浮かびます。
「こういう美味しいものを、食べさせてあげたいな~」とか、
「こういうところへ、連れていったら喜ぶだろうな~」とか。
結局「誰かのために」は、自分のためなのかもしれません。
必要とされている自分の存在価値が、私を動かしているのです。
こんな私も、人の親となって思うことは、
「我が子にとって母親として語ってあげられる言葉を持つのは、世界でたった一人、私以外に誰もいない」
ということ。
これは、みなさんにも当てはまるのではないでしょうか。
あなたが綴った大切な人への言葉は、あなたの大切な人にとって、唯一無二の宝石となります。
もしかしたらある時、あなたの言葉が、その人にとって大きな大きな支えになることがあるかもしれません。
また、あなたの言葉がその人の人生の分岐点で、その心に魔法を発揮するかもしれません。
どんな小さなことでも、文字にして残しておくべきだな、と思うのです。
書くことが苦手でもいい
書くことが苦手で自分の文章を残したくない、と感じる人もいるかもしれません。
私も絵を書くのが壊滅的で、自分のちょっと描いたイラストでさえも目を覆いたくなります。
けれど、どうでしょうか。
大切な人を思って言葉を残すとき、文法を気にしますか?
キレイに飾った言葉を並べようとするでしょうか。
あなたが、そのとき想い、感じたことをそのままに綴っていますよね。
想いを飛ばすように。
たとえば育児中の方なら、子供の記録や家族の思い出を文字で残すのに、これを誰かに頼んだりするでしょうか。
プロのライターに頼んで、カッコイイ文章にまとめあげてもらったとして、あなたが後々にそれを読み返して、そこにこみ上げてくるものって、ありますか。
ないですよね。
自分で感じ、自分でみたことを残さないと意味がないのです。
文の上手い、ヘタなんてのは関係ない。
一番大事なのは、そこにしみ込ませたあなたの想い・感情です。
想いをそのまま素直に書き残すことこそ、空気ごとパッキング保存できる日記の秘訣なのです。
本当ですよ。
人生、転ばない人なんていない
転びのない人生なんてないです。
もし、自分にちょっと自信がなかったり、ためらうことがあったりしたら、真っ先に大切な人の顔を思い浮かべます。
そして、自分をどの方向へ動かしていったらよいか、自分の中でしっかりじっくり考えるようにしています。
心に思い浮かぶ人が多ければ多いほど、
心に思い浮かぶ人が、ひとり、またひとり・・・と増えていけば増えていくほど、
幸せの濃度も濃くなっていくように感じます。
私を導いてくれる可能性が、どんどん広がっていきます。
そして、そんな気持ちを過去の日記が深めていきます。
自分の筆跡が、今日までのあらゆることへの感謝を、しっとり浮き彫りにしてくれます。