仮面しか見ることのできない人間に災いあれ。背後に隠れているものだけを見る人間に災いあれ。
真のビジョンをもつ人間だけが、たった一瞬の間に美しい仮面とその背後の恐ろしい顔を同時に見る。
その額の背後にこの仮面と顔を、自然にはいまだ知られぬかたちで統合するものは幸いである。
そんな人間だけが生と死の二重の笛を威厳をもって吹くことができるのである。
これは、ある占星術の本のなかで抜粋されている言葉です。
なんとなく言っていることの雰囲気は感じられるのだけど、何度じっくり読んでも理解がむずかしい・・・。
けれど、「むずかしくて何を言ってるかよくわからない」で終わらせることのできない離れの悪いものは、少なくとも今の自分に響いているということ。
だから、何度も見返したくなるのです。
気づけばハマってしまう「抽象さ」
時代を越えて広く愛されてきたもの、たとえば『星の王子さま』や『銀河鉄道の夜』、ピカソの『ゲルニカ』など、初心者にはもうわけわからない内容のものが多かったりします。
抽象的なものが多いのです。
しかしこの抽象さが、受け手(読み手、ギャラリー)に自由に届き、それぞれに捉え方が違うことを許されているからこそ、どの時間を生きる人にも長く愛されているのでしょう。
【難解または柔軟さ】たとえば『星の王子さま』
同じ『星の王子さま』でも、中学生で読んだとき、社会人になって読んだとき、いま読んだときと、それぞれまったく違う解釈になる。
だから作品は同じでも飽きないし、読むたびに変わる解釈を通して変化する自分を感じることができるのが、最大の娯楽なのかもしれません。
小学生のときに母に買ってもらった「星の王子さま」は、掴みどころのない特徴のない物語でした。
けれど、大人になった今ふたたび読んでみると、その内容の深さに何度も読み返してしまう。
読むたびに違う感覚になれる楽しさがようやくわかるようになって、今では手放せない1冊になりました。
(『星の王子さま』はいろいろな方が翻訳されていますが、私が好きなのは池澤夏樹バージョンです)
一生ものの愛用品は、なんとなく「在る」でいい
一生モノを考えるとき。
そのときは完全に自分とマッチしていなくても、後になってその価値に気づくことがあります。
時間と経験を経て「あのときはよくわからなかった価値」がみえてくるのです。
(これは「価値が育つ」ということだと思います。革の経年変化もそうですね。)
必ずしも「今が100% 完全!」「知り尽くしてる」じゃなくてもいいんです。
抽象的でも曖昧でもいいのです。
一生モノは、所持しているうちにそれだと気づく。
たとえ最初のきっかけが、ちょっとした偶然だったとしても。
そう思うと、今なんとな〜く大切にしているモノ・コトを、もっと大切にしようと愛着がわいてきます。
もしかしたら、一生の相棒になるのかもしれない。
人間て、こうして欠けているところを埋めるように、補うようにして、自分の変化や成長を確認しながら生きているのかもしれませんね。