春がくるときのよろこびは
萩原朔太郎
あらゆるひとのいのちをふきならす
笛のひびきのやうだ
誰かのために努力するのも必要だけど、
私が私として機能する環境をつくることも大切かも。
そんなことをふと思いました。
ピンポイントでいいから「ココ」という1点を守る。
そこを軸につま先を置いて、
もう片足ではみ出してみたり、
少し向こうへ歩んでみたり。
つま先は、しっかりとここにつけておくから大丈夫。
そんな「軸足」をもつこと。
自分の「軸足」を信じきるということ。
よくドラマや映画を見ていると、40代や50代の大人が若い主人公の目標になったりしてるけれど(たまにゴミのような大人もいるけれど)、私、全然その域に達していない。
自分が中堅の歳になってわかったけれど、気持ちや魂はずっと子供の頃から変わらなくて、もし進歩しているとしたらそれは、世間の波のかわし方を少し学んだことくらい。
最近、YouTubeでも60歳から留学、定年後に大学を受験など、頑張ってる方たちがたくさんいて素敵だなと感じる。
年齢を重ねたって葛藤はあるし、迷うし、悩む。
自分の胸ぐらを掴みたくなるくらい自分に絶望もするし、弱さだらけで、涙だって止まらないこともある。
けれど、隠してしまうんだな、
涙も気持ちも。
「大人らしさ」を取りつくろうために。
その強さはなんだろう。
きっとそれは「軸足」を持つ人の強さなのだ。
評価とか、順位とか、そんなものの追いつかない、もっと遠くを目指す冒険なのだ。
方々へ枝葉を伸ばした桜の、張り巡らされた根が目に入った。
不思議と全方位から、チャレンジングな空気に包まれる。
だって、春だから。
今日もだれかの春が流れる。
笛のひびきのように。