僕がこの文章で書きたかったことのひとつは、戦争というものが一人の人間 - ごく当たり前の名もなき市民だ - の生き方や精神をどれほど大きく深く変えてしまえるかということだ。
『猫を棄てる』村上春樹
これは、村上春樹氏の『猫を棄てる』の一節です。
私はこの一文を読んだとき、瞬時にコロナウィルスと重なりました。
私たちは戦争を知りません。
教科書や授業で学んだり、終戦記念日にテレビで特番を見たりしたことはあっても、実際に体験したことはありません。
そんな私たちにとって、コロナのパンデミックはまさに経験したことのない戦争のようなものとも言えるのかな、と思います。
(実際の戦争よりも、全然構えがゆるいとは思いますが)
新型コロナウィルスは、見えない敵と呼ばれ、世界中の人たちがその波の中にいました。
コロナの波紋は大きいです。
私のたやすい言葉で表してはいけないほど、仕事や暮らしに大きく影響しました。
村上氏の“あとがき”にある戦争のように、コロナも「一人の人間の生き方や精神を大きく深く変えてしまっている」のです。
そして次の部分。
ここに書かれているのは、個人的な物語であると同時に僕らの暮らす世界全体を作り上げている大きな物語の一部である。
『猫を棄てる』村上春樹
ごく微小な一部だが、それでもひとつのかけらであるという事実に間違いはない。
ここを読んだとき、ある本の一節と重なりました。
それは、『食べて、祈って、恋をして』(エリザベス・ギルバード著)の中で、友人が主人公(著者)に語りかけるシーンです。
あなただって天の一部なのよ。
『食べて祈って恋をして』エリザベス・ギルバート
この世をかたちづくるひとりで、天の営みに加わり、あなたの思いを神様に知ってもらう権利を持ってるわ。
私たちは、歴史の一部であり、
世界の一部であり、
地球の一部であり、
あの人の思い出の一部であり、
誰かのある日の日記の一部であり、
ある人の人生の一部だったりします。
誰もが自分の物語を生き、あるときは他の誰かのステージの隅っこに自分が登場したりしているのです。
『猫を棄てる』
この作品そのものは、とても短いです。
私は村上作品が大好きで、これまでもたくさん読んできましたが、この作品には何か今までと違う空気が流れているような印象を受けました。
ストーリーを楽しむものとも違い、
共感とも少し違い、
異空間へ導いてくれるものでもない。
あるひとりの作家が父親との回想をめぐり、
わずかに記憶の扉が開き、
言葉少なに語られ、
また静かに扉が閉じられていく。
そんな束の間のひとときに、読者が静かに立ち会えた安堵感のような、そんな気持ちがあります。
どことなく懐かしく惹きつけられる挿絵も素敵です。