「ラウンジ手帳」と愛称を与えている、私の手帳。
ここでいう手帳とは、スケジュール管理や未来を膨らませるためだけのものではなく、日々の想いの履歴を残したり、ペンで書く運動を楽しむ役割を含みます。
私の平和な時間を作り出す大切なツールです。
仕事で文章を書くのは「いつもの場所」が安定しますが、日記や想いごとは場所が安定しない方が、私の場合は筆が進み、心も進みます。
周り(店内や公園)からの、自覚できないほどの小さな刺激で、感情が軽く弾むくらいが手帳と向き合うにはちょうどいい。
手帳には、統一性もなく浮かんだことを書いていきます。
やがてそれらは、後づけで繋がって一日のストーリーになるので、心の感度が弾んだ方が面白い手帳ができあがるのです。
手帳をみれば、毎年それぞれの時期の雰囲気が文字に表れています。
自分特有のクセ字によって、書かれる内容だけでなく自分しか感じ取れない「季節の空気」が記録されます。
ただ、そんな書き環境はいつでも用意できるわけではなく、スケジュール、家族ごと、自分の体調などで左右されることがほとんどです。
そこで、思いついたのが「ラウンジ手帳」です。
本を開き「文字を読むこと」で本の世界に滑り込んでいくように、手帳を開いて「眺める・書く」で自分の世界へ潜っていけたらいいな、とはじめてみました。
心に安定を導く私の愛用手帳
わたしは主にシステム手帳を愛用しています。
この手帳は、中身を読んだり眺めたりすることで気分を落ち着かせる要素を持たせています。
他にも手帳を持ち歩いていますが、それらはメモやスケジュール管理のための「動」の手帳であり、この手帳は「静」の手帳です。
この「静」の手帳の中には、個性的な役者が揃います。
例えば、
・家族の写真
・まだ小さかった頃の子どもたちにもらったお手紙
・結婚前に夫とディズニーへ行きケンカして帰ってきた時のチケット(裏面には夫の「ごめんね」の文字、笑)
・仕事で初めて訪れた出雲大社のお守り
・バイトして初めて自分で買ったカメラで撮った最初の1枚
・思いついたときに少しずつ書きためている「小さな幸せリスト」
などなど。
ここは「静」の手帳ではあるものの、感情があたたかい方面へと「心を動かす」役割があります。
また、「眺めリスト」というものを作り、目にみえた美しいものを箇条書きでコレクションもしています。
実際に自分で見た美しいものだけの濃縮なので、普通の日記とは違い、読み返した際の鮮明さが圧倒的に濃厚で、幸福度も高いです。
「書く」ための環境づくり
肌身離さず持ち歩く愛用の手帳ですが、
「この手帳を開けば、どこであろうとホテルのラウンジで書いている」
そんな手帳に育成中です。
(ここから「ラウンジ手帳」と命名しています)
もちろん、手帳を開いたからといって本当にラウンジへ飛べるようなことはありませんが(ドラえも〜ん!)、手帳を手元におくと、ちょっとオシャレなラウンジでペンを走らせる気分になれたらいいな、と。
私はカフェやラウンジで書くと、普段思いつかないような言葉が降ってきたり、静かに根を張るような安心感に包まれたりします。
このテンションの波に乗れると、想像以上の楽しさの筆記時間が過ごせます。
とはいっても、そう頻繁にラウンジには行けないので、せめて意識の中だけでもラウンジ空間を遊泳しよう、というわけです。
そのキーアイテムとなるのが「ラウンジ手帳」ということです。
気持ちよく書くために。
テーブルの上に愛用のカメラがあって、
ペンと紙があって、
今日の気分に寄り添うドリンクがある。
適度に人の気配があって、
邪魔しない程度に耳に入ってくる雑踏、
時にはイヤホンして音楽を聞きながら。
ちょっと手を休めて窓の外を見たり、
隣の人の本のタイトルをチラ見してみたり。
そこには、必ず愛用の手帳がある。
心当たりのある傷がしっかりと見える、私の手帳。
最高じゃないか。
ラウンジ手帳育成のための工夫
最後に。
「普通、手帳にこういうのは入れないよね」というものを、ひとつ取り挙げてみたいと思います。
実はこれこそが、私の目指す「ラウンジ手帳」へ育っていく大きな要素になっていると感じているアイテムです。
それは、
生前、父が使っていた名刺です。
この名刺を手帳の透明のポケットリフィルに入れて、見えるようにとじています。
数年前、『ザ・マジック』という本を読んで、感謝ワークを知りました。
ある一節に目と心が止まり、何往復もそこに書かれた文字を追いました。
すぐに付箋を貼って、紙にも書き出しました。
子供のころから青年時代までを振り返ると、誰かが必死で稼いだお金でいかに多くの物を自分が受け取っていたかに気付くでしょう。それらの思い出や出来事の一つひとつに感謝してください。
ザ・マジック(ロンダ・バーン)
これまで自分のために注がれてきた時間やお金に、どれだけの愛情が詰まっているだろう。
後悔の残るネガティブな時間も、無駄に捨ててきたお金も、すべて私がここでこうして手帳に触れる指先に繋がっている。
これは奇跡であり、周囲の人が編んできた愛の結晶なのだと。
手帳を開きます。
父の名刺が目に入ります。
父が何千という人に手渡してきたであろうこの名刺を眺めていると、ここに私の命が乗せられ、健康に育ち、学び、今があるのだ、と思わずにいられません。
イマココに私の命を運んできてくれたあらゆる偶然必然に、屈託のない「ありがとう」が積もります。
そして、
これがやさしいエネルギーとなり、私はまた手帳を開き、書いたり眺めたりするのです。
濁った空気に触れさせることなく、「神聖」を保ちたい。
そんな場を、手帳の中に宿していきます。
これが私のラウンジ手帳です。