自分のポケットに泥のついた石を入れられても、そこに手を入れるまではほとんど気づかない。
ヒヤっと冷たい木枯らしが吹いて、 ポッケに手を入れてみて、私ははじめて石が潜まされていることに気づく。
石についた泥をキレイに洗い流すことも出来ず、 掌に置かれた石のせいで、 泥だらけの私の手は今は何も触ることができない。
ポケットの中も泥だらけだ。
四方をふさがれたような気持ちになり、 そこで目を閉じ、耳をふさぎ、しゃがみこんでも、私の朝はきちんとやってきて、 いつも通り朝7時30分にはリビングに私一人になる。
そして手帳を開く。
やがて、掃除機の音が鳴りだし、それが終わると温かい飲み物がテーブルの上に置かれ、イスに座って少しずつそれを口に含ませていると、洗濯機に呼ばれ洗濯物を干す。
ひとつひとつの洗濯物を手に取り、「この靴下、きれそうだなぁ。」とか「このTシャツ、もう小さいなぁ。新しいのを買わなくちゃだなぁ。」と、子供たちの成長をこんなところで確認する。
私の頭の中で何を考えようと、気持ちの中身が複雑な渦を巻いていようと、今日も変わらない朝はやってくる。
そして、変わらない明日の「朝」もまた、約束されているのだ。
我が子を「愛しい」と声に出して言い、家族を「宝物」と文字に起こし、当たり前すぎて埃をかぶりそうになる事々に「ありがとう」の気持ちをのせ、朝の空気へ浮かべる。
みんなで美味しくものを食べ、子供たちには広大な空の深い青さを見せてあげたい。
私たちはね、たくさんの数え切れない命の連鎖の中のたった一部なんだよ、と。
そのたった一部からどれだけのたくさんの光を放つことができるのか。
見せてあげたい、見てもらいたい。
泥のついた石を遠くへ投げ捨てるのではなく、掌に収めながら。
AM7:30。
いつもと変わらない今朝も、手帳は開かれる。
そして日常という奇跡が重ねられていく。