自然の中を散歩するたびに、人は求めているよりもはるかに多くのものを受け取れる
(ジョン・ミューア)
風が葉の隙間を通る音。
混ざり合う人の会話。
前を歩く人の土と靴の擦れる音。
近くに小川があるのかな、小さく水が流れる音。
鳥の気配?でも見えない。
深呼吸してみる。
何も混ざらないキレイな空気が全身をスルスルと巡るのが分かる。
指先から、肺の奥まで、聖水が行き渡るようだ。
いつの間にか呼吸もゆったりしてきている。
ひと呼吸ひと呼吸、大切に確かめるように、ゆっくりじっくり、自分の中にこの空気を染み込ませる。
体の中の嫌なことが、先々から抜けて蒸発していくよう。
森林の中を歩くこの気持ちよさ。
伝わるかな、伝えたい。
ナチュラルな安心感を与える緑色
森や森林公園に広がる緑色。
この色に包まれるとセカセカする、というイメージがあまり浮かばないし、耳にしない。
緑に触れることで、いつの間にかリラックスできるという感覚は、こういった先入観や「森は落ち着く」「木々の多い公園は心地いい」というこれまでの自分体験がベースにあるのだろう。
さらに、緑色は脳にも良い影響があると本で読んだことがある。
緑を見ることで、脳の前頭葉が活性化され、創造性や集中力が高まるのだと。
だから、というわけではないけれど、緑に囲まれる空間はやっぱり好きだ。
同じ時間を使って散歩をするなら、自分が心地よいと思う散歩をしたい。
自然の中は時間がゆっくり感じられる
自然の中にいると、時間がゆっくり感じられる。
不思議と時間がスローになったような感覚におちいる。
それも、言葉にし難い心地よい感覚に。
これは私だけの感覚ではないようだ。
人間の脳は自分の置かれた環境に合わせて、情報を処理するテンポを調整している。
自然には情報がたくさん含まれている。
鳥の声、風の音、遠くの山々、ずっと向こうまで高く積まれた青い空の層、木々が揺れる様子・・・。
これら自然は、脳の情報を処理する能力を高め、脳が処理する情報の量が増えることで、時間がゆっくり感じられるようになる。
つまり、自然の中にいると時間がゆっくり感じられるのは、脳が自然の情報を処理することで情報量が増え、私たちの時間の感覚が変わっているからなのだ。
自然の中でヨガをすると時間がスローになり、吸い上げられるような気持ちになれるのも、科学的に証明された人間の脳の処理能力によるものなのだ。
自然の中は自分の感覚に集中できる
自然の中にいると、体に入ってくる刺激が集約される。
葉が落ちてくる音、鳥のさえずり、自分の呼吸、トクトクする胸の鼓動、水の音、靴底から伝わる凹凸の感触。
これらは、すべて自然がリードするリズムによるものだ。
聞こえてくるさえずりも、水の流れも、空から落ちてくるキラキラの光の量も、私たちが自分でコントロールできないものばかり。
音量もペースも、人間が調整することなんてできない。
私たちは自然の中に置かれると、自然が奏でるリズムに身をゆだね、自身の情報処理を活性化しリラックスする。
そして、より深く呼吸することで、多くの酸素を体の中に取り入れることができるようになる。
結果、心身ともに余白が生まれ、安心して自分に意識を集中することにつながるのだ。
自然が心地いい秘密はここにある(独断)
昼の森林公園。
歩く人はまばらではあるけれど、背伸びはちょっと恥ずかしいから、深く呼吸をしてみる。
肺へ空気が送り込めたことを確かめるように、体の内部へ意識を誘導する。
肌に風があたる。
すると同時に、胸の内にも風があたるのが分かった。
空の下を歩けて、
緑を緑として見ることができて、
特にどこに痛みがあるわけでもなく、
安堵のような
なのに
少し泣きたいような、
清涼感のある目薬みたいな気分。
自然が用意する“心地良い”は、いつも「ちょっぴり切ない」がセットになっている。
この「切ない」は、決してマイナスで捉えるものではなく、過去を思い返すようなノスタルジーな空気を含んでいる。
「戻ることのない過去への切なさ」と「過去への(今までの)感謝」が重なってやってくる。
背中合わせの感情がある。
(これは人によって異なると思う)
自然が心地いい秘密は、ここにある。
自然を感じる時、温度差のある2つがセットになって胸に迫ってくる。
心が疲れている時は、なんとかなるかもという気楽な風穴。
ある時の飛び上がるほどの嬉しさは、そこへ至るまでの苦しかった過程が脳裏に浮かぶ。
だから、切ない気持ちが生まれても、なんら問題はない。
今日というタイミングで、風がそれを運んできただけのことだから。
その陰に隠れる「ありがとう」にも、私はタッチすることができたのだ(歓迎)
人間が感じる心地よさは、良いことと大変なこととのバランスにあると思っている。
プラスとマイナス、陽と陰、互いに違いを引き立て合うからこそ、それぞれに光が当たる。
自然はそれを、顕著に見せてくれるように思う。
風に乗ってやってくる穏やかで柔らかい光と、突然に大きな音と共にやってくるイナズマのように。
人間が完全に自然から離れることはない。あくまで人間は自然の一部だ
(エーリッヒ・フロム)