すべての土地や住居には、かつてそこを生きていた人たちの営みと「当たり前の時間」が流れていたはずです。
今、私たちが過ごしている時間は、自分たちだけで生きているわけではなく、歴史にも記録にも記憶にも残らなかった膨大な「ささやかな日常」の履歴の上にある。
そのことを忘れずに、精一杯に今を呼吸していこう。
そんなことを考えさせられました。
白洲次郎・正子夫妻の旧邸、武相荘へ。
『かくれ里』ではじめて白洲正子文脈に触れてから、いつか行ってみたいとずっと思っていました。
有料のミュージアムの中は撮影が禁止だったので、「隅々まで記憶に残そう」の意識が働いて集中して展示物を感じてくることができました。
特に、正子さんの書斎は感激でした。
書斎は、ひとつ突き出た板の間の部屋で隠れ家のようにありました。
所狭しと本が並び積み上がり、そこに佇む本の背表紙を数分くらいずっと眺めてしまいました。
ー 正子さんは、この空間で書いていたんだ ー
すっかり執筆欲を刺激されたのでした。
以下、ミュージアムの外の敷地を散策した際の様子です。
ここには、私の生活と重なる部分はほとんどないのに、自分のなんてことのない日常までも拡張されて見えるようだった。
すべての土地や住居には、かつてそこを生きていた人たちの営みがあって、当たり前の時間が流れていた。
今、私たちが過ごしている時間は、自分たちだけで生きているわけではなく、歴史にも記録にも記憶にも残らなかった膨大な「ささやかな日常」の履歴の上にあるのだ。
そのことを忘れずに、精一杯に今を呼吸していこう。