白洲次郎・白洲正子夫妻の旧邸、武相荘へ

武相荘ミュージアムの入口

すべての土地や住居には、かつてそこを生きていた人たちの営みと「当たり前の時間」が流れていたはずです。
今、私たちが過ごしている時間は、自分たちだけで生きているわけではなく、歴史にも記録にも記憶にも残らなかった膨大な「ささやかな日常」の履歴の上にある。
そのことを忘れずに、精一杯に今を呼吸していこう。

そんなことを考えさせられました。

白洲次郎・正子夫妻の旧邸、武相荘へ。
『かくれ里』ではじめて白洲正子文脈に触れてから、いつか行ってみたいとずっと思っていました。

白洲正子のかくれ里の文脈が美しい
持ち運びと読む時の邪魔にならないように、付箋は横に

有料のミュージアムの中は撮影が禁止だったので、「隅々まで記憶に残そう」の意識が働いて集中して展示物を感じてくることができました。

特に、正子さんの書斎は感激でした。

書斎は、ひとつ突き出た板の間の部屋で隠れ家のようにありました。
所狭しと本が並び積み上がり、そこに佇む本の背表紙を数分くらいずっと眺めてしまいました。

ー 正子さんは、この空間で書いていたんだ ー

すっかり執筆欲を刺激されたのでした。

以下、ミュージアムの外の敷地を散策した際の様子です。

平日の朝イチなので空いていた
差し込む光はきっと昔も今も変わらない
次郎さん
夫が見るのは細かい部分ばかり
武相荘ミュージアムの入口
ミュージアム入口
訪問者を照らす灯り
昭和の空気がよみがえる
気持ち良いまっすぐ
自然が織りなす均等
土と緑が匂い立つ小道
緑に包まれながら上へ上へ
さりげなく置かれたチャップリンを連想させる自転車

ここには、私の生活と重なる部分はほとんどないのに、自分のなんてことのない日常までも拡張されて見えるようだった。

すべての土地や住居には、かつてそこを生きていた人たちの営みがあって、当たり前の時間が流れていた。
今、私たちが過ごしている時間は、自分たちだけで生きているわけではなく、歴史にも記録にも記憶にも残らなかった膨大な「ささやかな日常」の履歴の上にあるのだ。

そのことを忘れずに、精一杯に今を呼吸していこう。